ドキュメンタリーのフィクション性について

たまたまNHKを見てたら中学生が地域の協力のもとで
1週間社員として職業体験をするっつうドキュメンタリーがやっていて
教育現場も変わってきてるんだなぁと思いつつ興味深く見てみた。
学校がこういうことを斡旋してやってるっていうのはすごく
新しい試みだと思うし東京の町田市っていう環境にあって
新しいコミュニティを再生構築する(ちょっと矛盾してるけど)
役割を果たすきっかけにもなるとおもう。

協力している企業側の理解もとても柔軟で中学生であっても
一人の社員として教育すること、責任の重さを感じてもらうことなど
決して企業の利益にはならない取り組みであるにもかかわらず
目標を設定して仕事の醍醐味を少しでも伝えようとしている
社員が頼もしく見えた。
このドキュメンタリーに出てくるのはカッコいい大人ばっかりで
とにかくアツくて仕事に誇りを持っている職人さんや
駆け出しのころ挫折しかけたけど夢にまい進してる美容師のお兄ちゃん、
ちゃんと叱ってくれる社長や仕事してるカッコいい大人がギルド的に
仕事ひいては社会のルールを中学生に味わってもらうために全力を投じている。
そんな姿は素直に感動できたしもし中学生に戻れるなら
自分もやってみたいな、と思わせる内容だった。

でも相手がメディアを通したマテリアルであるだけに
少し距離を置いて批判的に見てみないと現実は見えてこない。
たとえば笑顔で挨拶することが習慣化されていないため
お客様を笑顔で見送れない、将来美容師になりたい男の子の例では
彼のほかにも同じ職場で職業体験している女の子が2名ほどいたんだけど
その子たちにカメラが向けられることなく教育係のような立場を引き受けた人が
彼だけを特別に扱っているように見受けられる。
果たしてカメラの写らなかった部分で生徒たちは平等に機会を与えられていただろうか?カメラを向けられなかった生徒たちは何かを得たんだろうか。
14歳のハローワークに便乗した総合学習が中学生たちの将来に役立つことを
一抹の不安と共に、願う。
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by eringish | 2005-12-18 20:10 | 今日のはてな  

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