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資本主義の限界

以前のエントリで『資本主義の終焉』というタイトルで記事を書いた。
要約すると「資本主義経済が持続可能であるためには
今のシステム(大量生産大量消費)ではやがて破綻を来たすだろう、
もしかすると社会病理の拡大は命をお金で支えきれなくなったほころびが
だんだんと大きくなってきていることを示しているのではないか」、という内容である。

今改めて読み返してみると少し飛躍的だったことに気づかされる。
社会病理の拡大というあいまいな表現から資本主義の脆弱さは導き出せない。
しかしこの閉塞感は決して私のみが感じているものではないはずだ。

現在の世界同時不況は、キャッシュフローこそが経済を支える大動脈なのだということを
朝からワイドショーでも手取り足取り教えてくれる。
「需要の落ち込みが懸念されます」
「消費の拡大を目的とした定額給付金の実施に踏み切りました」
「新車の販売台数は去年の同じ月を大きく割り込み…」
「マンション販売戸数は過去最低を記録、」
私たちは一体どれだけ消費しなければならないのだろう。
もうすでに身の回りには生活に不自由しないだけのモノがあふれており、
満ち足りているはずなのに。

消費を前提とした資本主義は今後収縮傾向に向かうと思う。
世界一の消費大国アメリカの姿勢が徐々に変化しつつある。
借金をしてまで消費につぎ込む旧来の生活スタイルを
住宅バブルの崩壊とともに見直す動きが徐々にだが広がっているからだ。
エコビジネスを仕掛けた時期と世界不況がバッティングしたこともあって
人々は消費を抑制し、倹約的かつ保護主義的な(例えば地産地消)動きを示している。

しかし、万が一現在の資本主義の構造を維持するつもりがあるとすれば
およそ先進国とされる国々は次期経済成長国への販促を強めるしかない。
その場合にあって先進国と途上国との関係は、
ある意味18世紀前半のイギリスとアメリカの関係のように、
先進国製品の受け皿として利用される植民地的なものになってはならない。
先進国側の建前では途上国の生活の質の向上を掲げ、
本音では途上国の技術習得を恐れることとなるだろう。
熟成した先進国の内需は途上国の廉価な製品を好み、内需の拡大は期待できない。
また、およそ先進国とされる国が外需頼みとなってしまえば
途上国の成長を恐れる先進国が輸出によるGDPの奪い合いを初め、
国際協調とは逆方向の動きを見せることさえ考えられなくもない。

こうした最悪のシナリオを避けるために第3次産業革命が起こるはずだとひそかに考えている。
「エコ」もそのひとつの表れではあると思う。
しかし、エコを前面にプッシュした商品戦略には違和感を感じている。
これではエコのための不経済が発生し、本末転倒な結果を生じることは明らかである。
もう少し視点を変えてみれば「モノ」では埋めることの出来ない人々の不安の種は
日常に見出せる。
「介護」「福祉」「コミュニティ再生」いずれもポストモダンのキーワードとして馴染み深い。
しかしこれらの価値は消費の隅に追いやられて「余力のあるものが考えるもの」の位置づけに
なっているような気がしてならない。

政策が重点を置くべき対策はこれらの産業に中心的な価値をおく啓蒙活動から始めるべきだと考える。
これが正しいという方法論も定まらない中での対策は困難だろうが、
フロンティアはすぐ近くに、それもほぼ野ざらしのまま放置されている。
自分はまだこの大きな課題に武器すら持っていないけれど、このまま見てみぬふりは出来ない。
消費するだけで与えることのできない世の中には必ず限界があるはずだ。

by eringish | 2009-04-30 01:43 | ワシ的発言  

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